2018年10月6日、築地市場が83年の歴史に幕を引きました。翌朝から始まった豊洲への移転の様子に、多くの人が様々な感慨をお持ちになったことと思いますが、実は私もそのうちの一人。現在は不動産会社を営む私ですが、何を隠そう築地市場には、青春時代の忘れられない思い出があるのです。

大学を卒業する直前の年末、アルバイトをするくらいなら自分で何か商売をしてみたいとの気持ちから、鮮魚を独自に仕入れてディスカウント販売することを思いつきました。詳しいことは省きますが、結果的にわずか1週間で20万円もの儲けを出すことが出来ました。当時、大卒の初任給が8万円でしたから、ひょっとすると100万円もの儲けを毎月のように得られるかもしれないと単純に考えたことで、このままサラリーマンになっていいのか真剣に思い悩むようになったのが事の始まりです。

そんな悶々とした迷いを抱えたまま2月になると、内定していた会社から研修に来るようにと連絡が来ました。商売をしたい、商売を勉強したいとの思いがどんどん膨らむのを自覚していた私は、反対されるのを覚悟で家族に相談。するとどうでしょう、案ずるより産むが易し。女手一つで呉服屋を切り盛りして来た商売人の祖母が、市場内で八百屋を営む知り合いに声を掛けてくれるとの話に。結局、内定していた会社は辞退し、築地のやっちゃ場で働くことになりました。今思えば、家族はサラリーマンよりも商売人に向いていると思っていたのでしょうね。

ところで、やっちゃ場とは青物、つまり野菜の市場のことを指しますが、築地にも青果部という野菜の取引場があります。同じ都内の大田市場に比べると3分の1の規模ですが、築地青果部の特徴は、単価が高く品質にこだわった野菜が集まるということです。銀座や赤坂など一流の料理店がお届け先ということも、他にはない特徴でしょう。ただし私の仕事は、買い付けされた野菜をお客様の車まで、リヤカーのような荷台で運ぶものでしたが。

そうして商売人への第一歩を築地でスタートした私でしたが、卒業してすぐの頃、学生時代の仲間で集まると、パリッとしたスーツ姿の友人たちの中、唯一私一人がGパン姿、それが何だか気恥ずかしく、居心地の悪さを感じたことを覚えています。今考えると当時はまだ、サラリーマンが花形の職業であったことの証でもありますね。

その後、自身で居酒屋を経営するために、築地のお店は辞めることになりましたが、当時の絶好調な日本経済を体現するかのような、活気に溢れた築地の風景はいつまでも忘れることが出来ません。移転の様子を紹介していたニュースには、感極まり涙にくれる関係者が映っていましたが、もし、あのまま働き続けていたら、あるいはテレビに映っていたのは自分であったかもしれないと思うと人生の不思議さ、ご縁の大切さということに改めて思いが至ったものでした。

それはともかく、移転後の築地には、多くの不動産事業者や投資家が注目しています。銀座に近く、まさに東京のど真ん中にあるだけに、オリンピック後の東京を象徴する姿に生まれ変わるのではと、大きな期待を集めているのだと思います。個人的には築地を中心とした東京の東側の商業地こそが、これからの東京を引っ張っていくと信じていますので、その意味でも築地の未来にエールを送らずにはいられません。

「築地市場よ永遠に…」。
古き良き時代の築地市場の思い出を胸に、新しい築地の誕生を心待ちにしたいと思います。

築地市場よ永遠に!

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