東京を掠めるようにして西へ抜けて行った台風12号。7月の豪雨災害の傷跡も癒えない西日本で、さらなる被害が出ないよう祈るばかりです。

早いもので7月も最後の日曜日となりました。弊社は7月決算ですので、今期の締めと来期へ向けた事業計画の作成に追われる中、前回のコラムに書いた通り、私は自宅に所有する物の大規模整理にも、今までにない強い気持ちで取り組んでおりました。

何を大袈裟なとお感じかもしれませんが、それこそ数十年分の荷物が溢れ返っており、どれも捨てられないものばかりだったからこそ、今回こうして対峙しなければならなかった訳ですから、懐かしき品々との再会は、私にとって人生の棚卸しにも似た作業だったのです。

例えば、結婚した頃の妻からの手紙は、毎日忙しい私の身体を心配していることが伺える内容で、今も同じように私を支え続けてくれる妻の変わらぬ姿に、思わず胸が熱くなります。あるいは、まだ小さかった頃の娘が私の誕生日に贈ってくれた絵の中の私は、笑顔の二枚目。これにも思わずホッコリとした心持ちになります。

そして、母の遺言書とも言うべき手紙。母は、私が27歳の時に腫瘍の手術を受けたのですが、手術の前に死ぬ覚悟をしたのでしょう。直前に書いたと思われる私宛のその手紙には、私が小さい時に生き別れとなってしまい、もう会うこともないかもしれない兄へ思い遣りを持って生きて欲しいとありました。

というのは、私が小学校1年生の時に両親が離婚、兄は父の許へ、私は母に引き取られて育てられたからなのです。これも今回の大規模整理で見つけたものですが、母の離婚当時、祖母が母に出した手紙には、子どもを引き取ったからには、何があろうと最後まで自分の手で育てるように書いてありました。

その時代は女性が働くこと自体、困難であった上に、今と違ってアパートを借りることも大変だったからこそ、祖母は母に覚悟を求めたのでしょう。祖母もまた、若くして祖父を亡くし、女手一つで家業の呉服屋を切り盛りした強い女性だったのでした。

母が手術を受けた当時、私は三田で「べるでん」という名前の飲食店を経営していましたが、母からの手紙には、べるでんが永遠に繁盛することへの祈りにも似た思いも綴られていました。手術が成功し、母はその後すっかり回復しましたが、その一方で私は、永遠の繁盛を実現するどころか、三田通りの拡張で棚ぼた式に手にした店舗の立退料を含め、株の信用取引で30代の時に全ての財産を失ったのでした。私が二度と株式取引は行わないと申し上げるのは、この時の反省によるものなのです。

来年以降、不動産業界は大変厳しい時期になると私は思っておりますが、今回、母の手紙を読み直し、今は亡き母の思いに改めて触れたことで、「べるでん」を永続させるという覚悟を私に呼び起こしてくれたと感じています。母の言葉の重みとその思いは、数十年の時を経ても色褪せるものではないのですね。

ともあれ、8月から始まる新しい期においても、お客様の喜びと従業員の幸せのために全力を尽くすことをここにお約束いたします。
どうか引き続き、ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

 

断捨離に思う亡き母の願い

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